「目を覚ましたんだから、俺はもういいだろう」
「ダメですよ。誰かがついていてあげないと」
「俺じゃなくたっていいだろ」
「エレノア様から直々のご指名です。諦めてくださいね」
「だからなんでそれが俺なんだ…」
「あ、じゃあ先生のお手伝いがありますから、私はこれで」
「ちょっ、おい…!」

 未練がましく伸ばされたテッドの腕が宙を切る。その向こうでキャリーがパタパタと小走りで去っていく姿があった。行き場のない手を降ろす。あまりに中途半端だ。断りきれずにのこのことここまでついて来た自分が情けないと思う。いくら軍師の命令とはいえ、拒否する機会はいくらでもあった。己の流され気質を思って、テッドはうなだれる。

『あんたぐらいがちょうどいいかもしれないね』

 赤髪の女軍師はそう言って、テッドにラズロの看護を言い渡した。先日の海戦で医務室は満員御礼。傷の軽いラズロは、自室療養。テッドはその付添い人に選ばれたのだ。軽傷といってもどこかマズイところを打ったのか、ラズロが眠りから目覚めることはないまま1日が過ぎた。軍の動揺を防ぐため、リーダーの詳しい状態は伏せられている。医務室のベッド数は相変わらず空く様子もない。阿鼻叫喚の光景が繰り広げられる医務室を背後に背負いながら、そのうち目を覚ますでしょうという(こんな軽傷の面倒診てるヒマあるか、とあからさまな目をした)医者の言葉のとおり、ラズロは今朝方目を開けた。たまたま医務室に運び込まれたラズロと遭遇して、運悪く軍師の目に留まったテッドの役割はそこで終わり。それで良いはすだった。
 ふと感じた視線に、うなだれた状態で目だけを動かした。いつも定位置に立っている子どもがテッドを見ている。彼は部屋に運び込まれるリーダーを知っている。テッドの事情も自然と理解できていたのだろう。その顔はどこか憐れみを含んでいるように見えた。ああ、ますます落ち込む。視線に耐え切れなくなって、逃げるように階段を上り部屋の中へと踏み込んだ。数分前に出てきたばかりの部屋だ。変わるはずもなく、ゆらゆらとランプの炎が揺れ、影たちも不安定に揺れていた。その暖かな暖色の光景に不覚にも泣き出したくなった。誰か俺をここから解放してくれ!閉めたばかりのドアにもたれてため息。
 再び視線を感じて、再び目だけを動かす。誰なのか考える必要もない。ここにはテッドと一人の怪我人だけだ。部屋の主が、横たわったベッドの上からテッドを見ていた。今度はその瞳から何も見出すことができなくて、ほっと安堵した。いや、さっきの子どもの視線だって、本当は何も含まれていなかったのかもしれない。ただテッドの気持ちが反映されただけで。思えば、ラズロの視線はどんな時も何も映していないようだった。

「………………」
「………………」

 気まずい。
 これがラズロの友人である騎士団の者たちなら、わっと駆け寄って喜び合うところだが、いかんせんテッドはそこまでラズロと親しいわけでもない。なにせ2人が声を交わすのは初めて会ったとき以来だ。ほぼ初対面の自分にどうしろと?テッドはこれからの時間を思って嘆息した。けれど行動しなければ始まりも終わりもないのだ。何事にも。

「お前、まる1日眠ってたんだ。覚えてるか?」

 実を言うと、テッドはラズロが救助される場面にも遭遇している。そう、救助だ。我らがリーダーは敵船の中から助けられた。乗り込んだ敵の船で白兵戦の最中、まさか自暴自棄になった敵が己の味方船に向けて紋章砲を発射するとは思わなかった。ただ一人、動揺もなかったエレノアも、続く報告には短く舌打ちをしたのだ。砲撃された敵船の中に、ラズロを見たという伝令。「何やってんだい、あの子は…!」低い呟きを耳にしたのは、すぐ傍に控えているアグネスだけだった。
 後方で待機しているはずのラズロが、いつのまにやら前線で剣を振るっているのは今回に限ったことではない。だが、船を移ってまでのことはこれまでなかった。ラズロは、いるはずの本船から姿を消していたのだ。
 そうして砲撃に巻き込まれ、外から見た敵船の甲板には、立っている者の姿が見られなかった。敵味方入り混じる混戦とした船上だった。砲撃は甲板に集中したのだ。敵の目の前で慌てる慌てふためくわけにもいかず、彼らは戦いに決着を着けてからラズロの救助に向かった。テッドはそれを船の上から眺めているだけだったが、不安を感じることはなかった。ラズロが死んだのならば、すぐさま罰の紋章は新たな宿主を選ぶ。テッドの紋章はそんな罰の紋章の動きを感じ取らなかった。ラズロは死んではいない。それは誰もがわかっていることだろう。だが、あの率先して戦場に身を置くラズロが、すぐさま姿を現さないことには、何かがあったのだと思わざるをえなかった。
 すぐにラズロは見つかった。砲撃で吹き飛び、折り重なるように積みあがった死体の中から。自らの力で立ち上がり、ふらふら歩き出そうとしているところを。甲板のへり近くまで歩き、ぼへーっと海を眺めたあと、唐突に倒れこんだ。テッドはその一部始終を見て、自室に帰ったのだ。
 疑問に思うことはいろいろとあった。なぜわざわざ安全な場所を抜け出してまで戦おうとするのか。あのとき何を眺めていたのか。けれど結局は全てを飲み込み、テッドは疑問を無くすことにした。聞いてどうする知ってどうする。何もかもを遠ざけようとしている今の自分にとって、ラズロに関心を覚えること事態が無意味なのだ。

「テッド」
「………なんだよ」
「おなかがすいた」

 身構えた分、続いた言葉に拍子抜けしてこけそうになった。初めて会ったときと同じように茫洋としたラズロの言葉は、どんなときでも変わらないものなのだろうか。というかこいつ、死にかけたことわかってるのかよ。

「…わかったよ。下で何か頼んでくる。大人しくしてろよ」

 何故だか気を張っていた自分がバカらしくなって、テッドは肩の力を抜いた。拍子抜けだ。揺れる影も閉じた空間も変わらずそこにあるけれど、助けて欲しいとは思わない。ラズロ相手に気を張ってもしかたがないと思った。距離感を測らずとも、ラズロは一線を越えて踏み込んではこないだろうと、そう。それはテッドが1番望んでいる関係だった。ドアノブに手をかけながら、少しだけ自嘲の笑みが浮かぶ。これだから、あの幻のような船にとりこまれる。そこから脱してきたはずなのに、相変わらず変わる気配がない自分。これだから。

「テッド」
「あーわかってる。まんじゅうがいいんだろ………。いや船に乗ってる奴はみんな知って」
「ぼくはまだ、生きてる?」

 油断していたのだ。いいや、過小評価していのかもしれない。テッドはラズロの言葉に一瞬だけ肩を強張らせた。そして聞こえないフリをしてドアを押し開けた。背後からラズロの声はかからない。にがしてくれる。そう感じた。
 俺が聞きたいのはそんな言葉じゃない。お前の口から、そんな言葉を聞きたくない。この戦いの中で生き残る人々が、ラズロが行く道は決まっている。ただ生きていくことだ。だからそんなことを、テッドが言えるはずもなかった。言いたくもなかった。テッド自身、答えられる疑問ではないからだ。
 生きている。俺が言うのか?他でもない、生きていないこの俺が。けれど、ラズロの好物を持ってあの部屋に帰れば、何食わぬ顔で言うだろう。お前は生きてるよと。そうしなければ、ラズロが生きてくれないような気がした。
 だからテッドは少し決心する。自分も生きてみよう。生きなければ。口先だけの言葉には、はっきり言っていつも吐き気がする。
 階段を下りていく途中で、またあの子どもと顔をあわせた。今度は、にっこりと笑っている。

 

 

 

 

 

 

こたえを求めるきみへ (070414)