「悪い、ちょっとだけ寄り道させてくれ!」

 サルサビルでの依頼を終えて帰途につくこと半日。シグの口から勢い良く飛び出たのはそんな言葉だった。何事かと見れば、なにやら同じような感情のこもった視線が4つ、アスアドに集まっている。いつも思うのだが、彼らは本当に実の兄弟のように良く似ている。目は口よりもものを言うとはよく言ったもので、多少の表情の違いこそあれど、どれもが期待という感情を隠しもせず真っ直ぐにアスアドを見つめていた。どうやら彼らが言いたいことは同じのようだ。加えて、サルサビルを発つ前からそわそわとしていた理由はこれだったのかと知る。誰がどう切り出すか迷っていたらしい。
 一行を率いているのはほかでもないシグで、わざわざアスアドに頼み込んで了承を得る必要は本来ならばなかった。だがここ最近の団の評判はうなぎのぼりで、資金稼ぎのため舞い込む依頼の数も同様だった。依頼を管理しているモアナは嬉しい悲鳴をあげるているが、当然そのぶんあまりの忙しさにてんてこ舞いの現状である。結果、モアナからはできるだけ丁寧かつ迅速な依頼達成を要求されていたのである。行き帰りの日数も計算され、帰還予定日まで指定されている始末だ。今回の依頼では年長者だからというだけで、特にアスアドが予定通りの帰還をモアナから厳命されていた。それを知っているからこその、シグらの頼み込みだろう。
 幸いにも、数日かかる予定だった依頼が、思いのほか早く終了していた。これならば多少の寄り道も余裕ができる。実のところ予定がどうあれこの4人のこんなに熱心な頼みであれば、そうそう否といえない自分がいることを、アスアドは理解していた。

「俺はかまいませんが、いったいどちらに?」

 アスアドの返答に4人の顔が輝いた。まぶしい。

「ちょ、ちょっと待って。交易所のおじさんに印つけてもらったから!」

 慌てたマリカが荷物から取り出したのは地図だった。勢い良く広げた紙に全員の顔が寄せられる。示された場所を見てアスアドは頷いた。

「これなら少し道を外れるだけで半日もかかりません。日程も大丈夫でしょう。どうせなら今夜はここで野宿していきましょうか」
「マジで!?よっしゃあ!じゃあ急いで行こうぜ!」
「いえ、ですからそんなに急ぐ必要は…」

 聞いていなかった。
 シグは競歩のような速さで歩き出し、途中でのばした腕にリウの首を引っ掛けて先に行ってしまう。後ろ向きで奇怪な悲鳴をあげるリウを気にもしない。

「あーあ、はしゃいじゃって」
「無理もない」

 呆れ声のマリカとジェイルだが、その表情はやはり楽しげだ。
 けれど地図を見せてもらった後でもアスアドには困惑ばかりだ。あんな場所に彼らは何をしに行くのだろう。一言聞いてみれば済む話だが、何故だか水を指すようで言い出せずにいた。





 痛いほど強い日差しと潮風が肌に当たる。目の前に広がる光景はアスアドにしてみれば、幼い頃から慣れ親しんだものだった。太陽は高く白く、水面はゆらめく鏡のよう。
 開けた砂浜にでると、シグは体当たりでもするように駆け出していってしまった。他の3人もあとを追って、すでに波打ち際の近くだ。残されたのは放り投げられた荷物と、驚き出遅れたアスアドだけ。離れた場所から歓声があがっている。ここが目的地だと理解したとたん、すとんと今までの疑問が消え失せた。
 そうか。彼らは海に行きたかったのだ。
 思えば彼らは草原の子。村を出たのもつい最近だと聞く。だとすればこれまでしっかりと海を見る機会もなかったのだろう。ましてや海岸で遊ぶことも。初めて受けたサルサビルでの依頼のときでさえ、依頼の達成を急いでばかりで暇はなかった。ならきっと、こうして浮かれてしまうのも無理はない。自然に口元に浮んだ微笑みをそのままに、アスアドは散らばった荷物を近くの木陰に集めた。
 明るい笑い声の先を見れば、走り回ってはしゃぐ子どもらの姿がある。シグは足が濡れるのも構わず海に入り、後を追う3人に水をかけては笑っている。ジェイルはそんなシグに反撃しようと隙を狙いながらつかず離れずの位置に陣取り、マリカは器用にも不定期に寄せては返す波を避けながらシグのイタズラも避けている。砂に足をとられたのか、ついにはバランスを崩したリウがまともに水をかけられ、また笑う。
 あれではまるでただの子どもだ。いや、彼らは真実子どものはずだ。自分よりも十近く年下の。一瞬彼らの姿に影が重なる。強い日差しにやられたのか、一瞬くらりと視界が暗く陰った。振り払うかのように頭を振って、ふと考える。自分が彼らの年のころ、何を考え生きていただろうと。そしてその一方で、部下が見たら年寄り臭いと言うだろうことも考えて苦笑した。






「たはー、もーだめ。ホントむり…」

 よろよろとよろめきながら、リウが木陰に倒れこんできた。波打ち際の追いかけっこで、一番初めに根を上げたのがリウだった。砂浜での運動は思いのほか体力を奪うし、隠れる所のない直射日光も同様だ。リウはおじゃましまーすと声をかけて、アスアドの近くに寝そべった。が、その視線がまとまった自分たちの荷物にとまるやいなや、がばりと身を起こす。

「ごめん!オレたちみんな荷物をアスアドさんに放り投げちゃったんだな」
「いえ、お気になさらず。こうして気を抜く時間も必要ですよ」
「だからってアンタに色々押し付ける気はなかったんだけど…」

 リウが周囲を見る。そこにはしっかりと野営の準備が整っていた。4人が遊んでいる間にアスアドが準備していたのだ。申し訳なさそうに頬を掻くリウに、アスアドは気になっていたことを聞いた。

「そういえばリウ殿も海は初めてですか?」

 リウのはしゃぎぶりもシグらと変わりないものだった。これまでシトロ村にいたのなら同じく見たことはないはずだけれど、セレーテ団の参謀として時折深い知性をうかがわせる彼が、海を知らないというのは不思議な気がしたのだ。だが、アスアドの他愛ない質問をしたという気軽さとは逆に、リウの表情は複雑なものとなった。

「んー、いや……。初めてじゃねーんだけど」

 知らず彼の領域に踏み込んでしまっていたのかと謝りかけたが、リウは自分から話し出した。

「初めて見たときは一人だったんだよ。そのときはそれまでの自分の常識をひっくり返されるぐらいの衝撃で、圧倒されたよ。感動…っていうより、正直怖かったぐらいでさ。………わかるかな」
「ええ…なんとなくですが」
「まっ、天気悪かったってのもあるかもしれないけど。なんにせよ、今日はあいつらと初めて来た海なわけ!そのせいかな、前とは全然違うように見えるよ」

 そう言って、リウは目を細めて海に目をやった。今のリウにとって、海がどう見えるのか。それをありありと感じさせる顔だった。

「そういうアスアドさんは?確か出身もエル・カーラルだろ?小さい頃から海なんて遊びなれてるんじゃ……」

 そこまで言って、しまったというように今度はリウの顔が歪んだ。今はもうどこにもない帝国の都。その名をアスアドの前で不用意に言ってしまったことに気付いたのだろう。アスアドの故郷は砂の海へと姿を変えてしまった。だがアスアドはリウの態度に気付かないふりをして話を続けた。

「確かに、子どもにとって海は絶好の遊び場でしたよ。皆で度胸試しだと言って高い崖の上から飛び込んだり、競争で遠泳したり……」

 アスアドの脇を、思い出の中の仲間たちが駆けていく。歓声をあげて走るその姿は、さきほどのシグたちとよく似ていた。そう、あんな風に魚をとって家に持ち帰ったこともあったっけ。

「おーい、アスアドも来いよ!」

 波打ち際でシグがこちらに手を振っている。かつての幼い頃の仲間たちも、ああやってアスアドを呼んだものだ。思い出は尽きない。けれど間違えてはいけない。思い出は思い出だ。過去の幻に囚われているようでは前に進めないことを、アスアドは知っていた。子どもたちの声が耳の奥で残響している。ゆっくりと瞬きをすると、後ろから回り込んだジェイルによってシグが濡れ鼠になり、マリカが大笑いしている姿だけが見えた。

「そうですね、俺もシグ殿たちと初めて来た海です。初心に返ってみますか!」
「へっ?」

 アスアドは立ち上がりリウの手首を掴むと、有無を言わさずそのままひきずるように走り出した。シグとマリカとジェイルがその先で待っている。彼らに海での遊びを教えてやろう。それはきっとまた誰かに伝えられるに違いない。そうしてどこまでも続けばいいと、アスアドは思った。

 

 

 

 

 

 

 

残像はまだ輝いているか   (100801)

by模倣坂心中