1. 告白現場に鉢合わせする

 

「ずっと前からあなたのことが好きでした!」
 嗚呼、麗しき青春時代よ。未来あふれる少年たちよ、恋愛大いに結構。人を愛するということは己を育むことに他ならない。その健全たる魂の煌きを尊び、心の底から称えよう!
 しかし、そのまえにちょーっとだけ考えて欲しい。ここは広い宇宙の一部で、地球という星の一部で、日本という国の一部で、もっと細かくいうなら男子校という種類の学校の中なわけで。この場にいる全員の性別はどう見ても男。ノーマルな俺としては、ちょっといただけない状況だったりするわけよ。しかも自分自身のことだったらまだ良かったかもしれないが(いやよくないけど)、これがまた他人事だったりするからさあ大変。
 放課後、俺はただ教室に忘れ物を取りに来ただけだったのに、いつもどおりに扉を開けたら耳に飛び込んできたのは愛の告白。わあ超気まずい。その時点で失礼しましたと回れ右をすればよかったのだが、ついつい湧き出た好奇心が告白現場の状況を見極めようとする。女教師と生徒の禁断の恋、めくるめく愛のドラマが!なんて下世話なことをチラとでも妄想したせいだ。雰囲気ばっちりの夕陽差し込む教室に、窓辺の席に座る奴と教壇の前で棒立ちしている奴がいた。どっちも制服。すなわち生徒。イコール男。
 なんで忘れ物なんかしちゃったのかな俺!
 とにかくその状況を認識するまで数十秒。それだけアホ面さらしていれば、当事者の二人も突然の侵入者をしっかりじっくりと確認できたことだろう。
「相模?」
 座っている方が俺の名前を呼んだ。その声で相手が誰だかようやく思い当たった。性別を認識したあたりで俺の頭は停止していたらしい。驚いた顔を向ける相手の顔は確かに俺の知っているものだった。
「須崎………」
 気まずさここに極まれり、だ。顔は知ってる、挨拶もする、けどさして仲がいいわけでもない。しいて関係性をあげろというなら、3年間同じクラスでサ行の名字仲間だから出席番号がよく隣り合わせだったりする、それぐらいの関係だ。わかるだろうか、その微妙さ。微妙すぎて自身の次の行動すら迷ってしまう。これが親しい友人とかだったら顔色を見て助けるかスルーすべきか選択できただろうし、また全くの初対面であれば堂々と見ないフリをして逃げるられた、かもしれないのに。こうなったら俺の選択肢は一つしかない。
「あー、俺、ただ課題の忘れものを取りに」
「俺がなかなか来ないから迎えに来てくれたのか。悪いな、相模」
「は」
「ちょっと待っててくれ、今帰る支度しているから」
 開き直って自分の用事だけを済ませ、とっととこの場を去ろうとしていた俺のもくろみは見事に崩れ去った。
 人の言葉を不自然さ丸出しで遮って、須崎は鞄に荷物を詰め込んでいる。開き直ることしかできなかった俺が言うのもなんだけど、その逃げ方はいくらなんでも無理があると思う。
「あの、ごめんなさい…!ただ知っておいてほしかっただけなんです!」
 俺という突然の侵入者に半分泣きそうになりながら、告白した方が言う。なんかかなり悪いことをした気分。後輩っぽい小柄な男子生徒はもう逃げ出す寸前の体制だった。
 これはもしかしてもしかしなくとも、告白現場→修羅場へと変貌を遂げてしまったのだろうか。いやいや修羅場の経験なんてないからよくわからないが、それとはなんとなく違うと思う。なのに思わずそう感じてしまうこの張り詰めた空気はなんだ。このまま須崎を待つのはなにかいろいろマズイ気がする。けれど俺が決断を下す前に、事態は動いた。思ったとおりあまりよろしくない方向へ。
「勝手なこと言って、それで終わり?」
 呆然とする告白相手に告げる須崎の声の響きは、これでもかというほど冷たい。ただ背を向けられているせいで、俺にはクラスメイトの顔がどんな表情をしているのかわからなかった。暖色に染まった教室は暖かく見えるのに、どうしてこんなに指先が冷たくなるのか。
「おまえ、きもちわるいよ」
 ガラガラといういつもの扉の音が、ひどく乾いたものに聞こえた。


 俺の記憶にある須崎は、一人でいることが多くて大人しい、典型的な優等生だった。かといってクラスで浮いているわけでもなく、誰とでもそつなく付き合っていた気がする。声をかければちゃんと話すから無愛想ではなかったし、人との会話が苦手というようにも見えなかった。良くいえば大人、悪くいえばつれない奴、といったところだろうか。けれどそのつれなさだって、そこまで強固なものではなかったはずだ。ついさっきの須崎を思い出しては差異を感じて困惑。
 何をどう推測したって所詮、俺と須崎の付き合いなんて3年とはいえ表面上のものだけだ。知らない一面があってもおかしくはない。だというのに、どうしてこれほどまで先ほどの須崎の行動がひっかかるのか、自分でもわからなかった。
「ごめんな」
 先を歩いていた須崎がぽつりと呟いた。それまで俺たちは黙りこくって歩いていたので、突然の謝罪は誰もいない廊下でよく響いた。
「悪かったよ、関係ない相模をダシに使ったりして」
「………ほんとにな」
「あ、そこで頷くか普通。うそでもそんなことないとか言ってくれればいいのに」
「おまえが言うかそれを。須崎、最後まで相手の顔見てなかっただろ。なんか今にも死にそうな顔してたぞ」
「へえ、マジで。災難だったな、相模」
「巻き込んだおまえに言われたくない…」
 気付けばさっきまでの気まずさはどこへやら、須崎はやたらと明るい口調で話す。ぎこちない雰囲気が苦手な俺は当然のようにその流れに乗せてもらった。昇降口に着くまでには、どうにかただのクラスメイト同士といういつもの雰囲気を取り戻す。そのまま、下駄箱で靴を履き替えて外に出る。夕陽は山の向こうに沈んでしまったけれど、まだ赤い空の名残があった。そして空気は冷え込んでいる。
 いつもなら、ここで俺はあっさり須崎と別れただろう。そうして翌日には何事もなかったように、腐れ縁のクラスメイトとは浅い付き合いのまま日々が続いていっただろう。けれど今日は、今日だけは余計な一言が出てきてしまった。一歩、須崎へと踏み込む。肌寒さがさっきの須崎の声を思い出させる。
「なぁ、なんであんな風に言ったんだ?」
 俺の問いは唐突すぎたけれど、須崎は不思議そうな顔もせずにゆっくりと瞬きをした。その短い間に、俺の知ってる須崎の顔はかき消えていた。きもちわるい。そう言ったあのときもこんな顔をしていたのか。一瞬喉が震えた。
「そりゃ男からってのは嫌だろうし、俺だって断固お断りだけど。でも、おまえのあの拒絶の仕方は………」
 異常だよ、とまではさすがに言い切れなかった。そこまで親しいわけでもない相手に言い切るには少しきつすぎる。
 男子校だから話の上でならそういうこともよく聞く機会があった。話を聞いておもしろがる奴もいれば、さぶイボたてて嫌がる奴だっている。でも須崎の場合はその程度の問題じゃない。たとえ相手が異性でも、あんな風に拒絶したんじゃないだろうか。そう思えるほどの強い拒絶を感じた。まるで相手から向けられる好意を、相手そのものを否定するような。
 あのときの須崎の言葉が、死んでしまえ、だったとしても俺は驚かない。
「信じられない」
 須崎の声は渇いている。どこまでも暗い光が、目の奥で揺らめいている。
「どうして、なぜ、俺を、俺なんかを?わからない、きもちがわるい」
「…須崎?」
「きもちわるい」
 自問自答のような答えだった。俺にすればますますわけがわからないだけだ。きもちわるい、ともう一度呟いて、須崎はふらりと歩き出した。追うという選択肢が俺の頭には出てこなかった。ただ、いつもとちがうクラスメイトの背を、黙って見送ることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 (090131)