3.ただの通りすがりなんです信じてください!



 その日は久しぶりに遅刻ぎりぎりの時間だった。大急ぎで家を出て走って学校へ向かった。無遅刻無欠席の皆勤賞を狙っていた俺は、何がもらえるわけでもないけれど懸命に走った。だれにでもそういうこだわりみたいなのがあっても良いと思う。そしていつもの道では間に合わないとふみ、久々の近道を試みたわけだ。
 それは裏道という裏道で、何年か前からうっちゃってある工事現場を通ったり人さまの家の庭を突っ切っちゃったりする、それこそ猫がとおるような道だ。まあ厳密にいえば道なき道といった所もある。けっこう(道徳的に)危険なのでよほどのときしかこの道を使わない。終着点は学校の体育館裏。そこにある高いフェンスを越えれば無事到着だ。
 だけど俺の近道ダッシュ物語は脳内だけで終わってしまった。ゴール直前の思いがけないハードルに躓いてしまったのだ。




「何ぼーっとしてんだよ。聞いてんのか人の話?」
 ぎりぎりぎりと音が聞こえてきそうなぐらい、にきつく胸ぐらを掴み上げられている。なんなんだこの状況。そーいえばどっかでタバコの吸殻が見つかったとかで、先生らの目が厳しくなったんだったか。タバコを咥えながら迫力のある顔ですごむ男を目の前に、そんなことを思い出していた。ちょっと現実逃避かもしれない。だがそんなことをしていても喉もとの苦しみが去るわけもなく、とりあえずバシバシと相手の腕を叩く。冗談じゃなく首しまってるのに声が出せるか。
「だ、っから…!俺は、ただのとおり、すがりだって…・…ッぐえ」
 なんとかしぼり出した声も情けないぐらいかすれている。だというのに目の前の男は手を緩めもしない。あんまりの理不尽さに目元が険しくなった。この野郎、とガンをつけかえす。こ、ここここ怖くなんかないわい。相手がド金髪ピアスじゃらじゃらで校内一の素行不良と有名なあの長谷川だろうとなんだろうと、腹が立つものは立つのだ。せっかく近道を通ってきたのに、このままでは遅刻する!
 何が悪いってこんな人気のないところで、ふてくされたように寝っころがってタバコ吸ってるこいつが悪いんだ。フェンスを乗り越え華麗に飛び降りた先にそんな一不良がいるなんて想像もつかないだろう普通。まあ、みぞおち辺りに圧し掛かった俺の全体重と今日に限って英和辞書を入れた俺の学生鞄が奴の顔面に強打されたことは、多少、不運だったとは思うが。
「なにしてるんだ、篤弘」
 そこに思いもよらない第三者の声。なんとか首を捻じ曲げると校舎のカドに須崎が立っているのが見えた。なんというタイミング。ついでにアツヒロってダレ。
「義明?…ヨシか?」
「………何してるんだかしらないけど、離してやれよ。苦しそうだろ」
「ん、ああ、ワリ。絞まってたか」
 わかってなかったのかよ!と、普通に口が聞けたのなら痛烈なツッコミをしてやれたのだが、長谷川の手から力が抜けた途端出てきたのは息も絶え絶えな空咳ぐらいしかなかった。
 俺が地面でのた打ち回っている間にも(ちょっと大げさ)、須崎と長谷川の会話は続く。
「で、何してたんだよ」
「いや、こいつのせいで俺らの喫煙所がなくなったんだぜ。ちょっとくらい痛めつけても悪かないだろ」
「喫煙所って、………ああ、屋上のことか?なんで相模が関係してるんだ」
「こいつがチクったんだろ。さっきだって俺にケンカ売ってきやがったし」 
 いつのまにか俺の罪状が増えていた。なんだその理不尽な方程式は。踏んづけたことについては謝らないでもないが、それ以外は寝耳に水です。呆れる俺と同じように須崎がため息を吐き出した。それからゆっくりとわかりやすく説明を始める。
 どうやら、屋上が閉鎖されたのは自業自得らしい。俺は知らなかったのだが、屋上はこっそり喫煙者たちの巣で、その中の誰かが屋上に繋がる階段の踊り場に吸殻を捨て、それが先生に見つかったのだという。ついでにこの体育館裏はは2階の渡り廊下から丸見えで、そこから見ていた須崎に言わせれば俺はただの遅刻者。偶然ここを通りかかって長谷川の上に振ってきた哀れな通行人だということ。
「へえ、そうか。そりゃ悪かったな」
 須崎の話が終わるとあっさりと長谷川は自分の非を認めて俺に謝った。ようやく息が整ってきたので今度はツッコミの用意ができている。いえいえそんなこちらこそで終わると思うなよ。長谷川ってこういうキャラだったのかという驚きはともかく、声を出そうとした俺よりも早く相手が動いた。
「お詫びにコレやるよ」
 押し付けられて思わず受け取ってしまった。広げた手には使いかけの百円ライター。
「いやいらないし」
「なーヨシー。どっか吸える場所ねえ?」
 即答した俺の言葉をさらっと無視して長谷川は背を向けた。その先で涼しい顔した須崎が言う。いまさらだけど、お2人ともお知りあいですか。そう思っても口を挟むヒマはない。
「屋上の扉自体は鍵しまってるけど、3階の男子トイレの窓から上れるらしいよ」
「マジで!そりゃいいな。ありがとよ」
 短い言葉を交わすと、須崎の肩を叩いてから目に痛い金髪は遠くなっていく。おいこら人の話を聞けよ。ちょっと展開が早すぎてついていけない俺に、追い討ちをかけるかのように今度は須崎が動いた。
「悪い、相模。俺日直で、先生呼びに行く途中なんだ。このまま職員室行かなきゃならないから先に行くけど、相模も早く教室行ったほうがいいよ」
 最後の方は遠ざかりながらの言葉である。そして体育館裏には俺一人が残された。かなり置いてきぼりをくらった感がいなめない。後半まともに喋っていなかったような。いや、それは最初からか。
 須崎と話をするのは、実を言うとあの居残り以来だったのに。気まずさを感じる間もなく、助けてくれたお礼を言う間もない。
「んー?何してんだ、相模。もう朝のHR始まってんぞ」
 呆然と見送っていた俺の背後から、聞きなれたのんびりとした声が聞こえる。振り向けが吉岡がいた。なんだってこんなところに。千客万来万来だな体育館裏。が、声をかけたのは向こうだというのに、俺が振り向いても吉岡の視線はまったく別の方向を向いていた。なんだろうと思ってその先を見ると、少し離れた剥き出しの黒い地面に綺麗なコントラストのように白い棒が。数分前まで長谷川が口にくわえていたアレだ。その新品さが嫌でも目をひく。
「え」
 やけにゆっくりと吉岡が俺の手元と地面を交互に見る。はっと自分が手に持っている安物ライターに気がついた。吉岡のダルそうな、何を考えているのかわからない顔がこれほどまでに怖いと思ったことはない。心の中で長谷川を一秒間に百万回ぐらい罵倒した気がする。
 その日俺は、初めての遅刻どころか初めての生徒指導室へと連行されることとなる。

 

 

 

 

 

 

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