2. ケイタイ鳴ったの誰ですか

 

 場違いに快活な音が鳴り響く。音源の元を持っていた俺の顔は真っ青だ。今の時間に限ってマナーモードに切り替えるのを忘れていた。休み時間に着信音で遊んでいたせいだ。健気で忠義の厚い俺のケイタイは、その場の雰囲気もなんのその。定められたシステム通りに音を鳴らす。しかも俺がネタとして設定してそのままにしておいた、日曜の午後5時1チャンネルで始まるあのメロディーだったりするからさらに最悪だ。すっとぼけたトランペットの音がラストを知らせ、もう1巡しようとしたところで、ようやく俺は自分の携帯を探し当てた。ほっとしたのもつかの間、時は既に遅しというやつで。
「はい、没収〜」
 ボタンをおしてメロディーを止めたところで俺の携帯がひょいと取り上げられた。思わず手が追いかけたが、さらに高いところへと逃げられてしまう。異議を申し立てようにも、相手が相手なだけにできなかった。
「見逃してよ、せんせー!」
「だめだめ〜。言ったろ、俺の授業中に携帯ならしたやつは没収なって。相模は初没収か。おめっとさん」
「うっそだろ…。なんで今日に限って」
「しかもおまえさん、いい度胸だよなぁ。寝てたろ、居残りの分際で」
「うっ」
 全ての原因は俺の忘れ物から始まった。といっても単純な話で、昨日忘れたものというのが今日の授業での課題で、結局忘れ物を取りに戻ったこともすっかり忘れて帰宅した俺は見事に居残りを命じられた。ああ、単純すぎて涙が出る。
 相変わらず雰囲気ばっちりの夕陽差し込む教室には、吉岡せんせーと俺たち居残り組みの影がなんだかむなしく落ちている。人数が少ないからだろうか。そう、居残り組、といっても、正確には俺と後一人だけなのだが。
「須崎―、ツボにはまったのはわかったから、いい加減笑いやめ。窒息しそうでなんか怖い」
 吉岡に声をかけられた当人は返事を返そうと口を開くのだが、しゃっくりを我慢しているような変な声しか出てこない。何の因果か俺と同じ居残りの須崎は声を押し殺して肩を震わせつづけている。俺の携帯が鳴り始めた頃からずっと。まあそれまで部活動の音とシャーペンと紙の音しか聞こえていなかった教室に、突然あんなメロディが流れたら無理もないかもしれない。………いや、やっぱり笑いすぎだ。なんか腹立ってきた。
 この騒動で集中が切れてしまったのか、吉岡はそれまで続けていた書類作成っぽいことを中断して俺たちに話し掛けてくる。まあ、集中切れたのは俺も同じなのでありがたいけど。
「しっかしおまえらもなぁ。俺が、課題忘れたら居残りさせる面倒なセンコーだってわかってるくせして、なんで忘れるかなぁ。写しでもなんでもいいから出せば見逃してやったのに」
「え、正直に忘れましたあって申告した俺らの方が偉くないですか」
「いや、俺、最後までみっともなくあがく奴大好き」
「だから俺らだけ居残り!?なんか違くないっすかセンセー!おい、いつまでも笑ってないでお前もなんか言えよ須崎!」
「そういえば、こいつはともかく須崎が課題忘れるなんて珍しいな」
 吉岡の言葉に須崎がようやく笑いをこらえて言った。
「お、俺だって忘れる時くらいありますよ…。ぶ、ふふっ、くくく……ッ!」
 いや、訂正しよう。こらえきれていない。まだ笑いの発作は奴を逃がしてくれないらしい。いい加減苦しそうだ。
「………なあ、須崎ってこんなに笑い上戸だったか?」
「俺だって知りませんでしたよ。誰コレな気分ですよ」
 震える須崎を見ながら俺と吉岡がひそひそ言葉を交わす。なんだかとても珍しいものを見ている気分だった。




 結局あれから課題は終わらず、時間も遅くなっていたので帰っていいことになった。課題はお持ち帰りで期限は次の授業までだ。携帯も帰り際に返してもらえた。とにかくほっと一安心しておく。
 俺と須崎は下駄箱にいた。ほとんど昨日と同じ図で違うのは外の明るさくらいか。外灯がなければ須崎の顔も見えないだろう。校内の明かりもほぼ消えている。そして昨日と変わらず寒い。 気まずいのは苦手なのでさみーさみー言って昨日の話題を持ち出さないようにしていたが、以外にも掘り返してきたのは須崎のほうからだった。
「相模、誰かに言ったりしなかったのか?昨日のこと」
「須崎って男に告白されてたんだぜ信じらんねー、とか?どんだけ性格悪いのよ、俺」
「いや、お前なら仲良い奴らに明るくネタにでもしそうだなと」
「………それ最悪じゃんか」
「悪い意味で言ってるんじゃない。本当になんでもないことのように言いそうだと思ってた」
「ええ、俺そんなに口軽そうに見える?」
「そういう意味じゃなくて…」
 じゃどういう意味だと須崎の言葉を待ったが、少し困ったような顔をしただけで、それ以上の続きはなかった。なんだか本人も言葉を捜しているように見えた。
「でもホント、お前が課題忘れるなんて珍しいよなぁ」
「ああ、忘れてたわけじゃないんだけど………悪いと思って」
「は?何が」
「お前、昨日は結局俺のせいで課題持って帰れなかっただろ」
「え、…あ、あー!ああ!………って、ハア!?」
 思い当たって素っ頓狂な声をあげてしまった。確かに昨日、俺は須崎の一件で課題を持ち帰ることができなかった。それをまさかこいつが気にしていたとは。というか気付いたとしてもなんだその償い方。
「だからって居残りに付き合うかー?………律儀だな。変な所で」
「そう?自分の中ではちゃんと理論だっているんだけど」
 わかるようなわからないような。とにかく昨日の去り際の印象が強いせいで、今日の須崎と結構なギャップを感じるのですが。いつもの須崎とすらギャップを感じる。俺の困惑をよそに須崎との会話はよくはずんでしまった。
 そのせいできっと、俺は油断していたんだろう。須崎が自分から昨日のことを言い出したこともあって、俺はいつもの距離感を測りそこなっていたのか。
「須崎、いつもそうしてりゃあいいのに」
「何が?」
「普段からみんなとも壁作ってるだろ。今日みたいに笑えばいいのに」
 振り返って後悔した。ああやっぱりデジャヴ。俺は最近、どうも余計なことを言いがちだ。昨日も同じようなことをしたばかりだというのに。
 須崎は黒々とした深い目を俺に向けている。呑みこまれそうな深さ。これはただの被害妄想だろうか。おまえには関係ないと、そう言われているような気がしてならなかった。
 鞄の中でまた携帯が鳴っている。マナーモードにしたおかげで、今度は須崎が笑うはずもない俺の忠実な携帯。かすかな振動だけが俺を正気づかせてくれた。

 

 

 

 

 

 

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